アカデミー賞を獲得した映画「スラムドッグ・ミリオネア」を見た。
ビジネスのヒントが隠されていた。
ひとつは「貧困ビジネス」。
もうひとつは「なんでもビジネスにしようと思えばできてしまう頭脳」。
スラムの孤児たちをさらってきて、物乞いをさせる元締めがいる。恐ろしい話だが、似たようなことはタイにもある、と新聞で読んだことがある。
乞食の元締めに乞食は一生搾取される。1人の乞食が稼ぐ金はわずかなものかもしれない。しかし、その数が膨大で、元締めが搾取する金の割合が多ければ、相当なもうけになるだろう。
一種の奴隷である。逃げようと思えば逃げられるが、子供の頃から、乞食しかしたことがなく、ある程度飢えずに暮らすことが保証されているなら、大人になってもその生活から抜け出せない。
この構図は、決して乞食だけに当てはまることではない。ある特定の法人や個人から雇用される労働者も極論すれば、この状態に限りなく近づいているとも言える。
もちろん21世紀の現代で、先進国においては、労働者の権利は保障され、雇用者から搾取されることのないような法整備が成されているだろう。
しかし、現実には、「元締め」からの収入を唯一の収入源としてあてにするということは、非常にリスクが高い。ところが、意外とその状態の居心地が良ければ、そこから離れようとはしない。
これは、物理的な奴隷状態ではなく、精神的な奴隷状態とも言えると思う。そこから抜け出そうと思えばいつでも抜け出せるのだが、決してそのような行動を起こそうとはしない。
自分はいつしか、そういうことになっていると気づいた。
そこから逃れるためにはひとつしか方法がない。
自分でビジネスを起こすことだ。そして、究極的には、自分の労働力を最小限に抑えて、金が金を生むような状態までに持っていくことだ。
映画の中のスラムの子供は、自分でビジネスを起こしていた。
トイレを貸すビジネス。これは賃貸業?だ。外国人観光客相手のインチキガイド。観光客の靴を盗んで売りさばく。
ありとあらゆることが商売になるし、やる気さえあれば、可能である。
それは、不動産賃貸ビジネスにも結びつく。
インドのイメージを良くしたのか悪くしたのかはわからない。しかし、あらゆる試みへの可能性を示唆した、という意味では、見る人のモーチベーションを上げる映画となったのではないだろうか。
ダニー・ボイル監督の作品としては、大ブレークした、トレインスポッティング以来の快作だと思う。
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